湯本雅士の『金融政策入門』を読みました。
考えたこと
なぜ、デフレが悪いことなのか。デフレは物価が下がることです。物価が下がることは、物が安く変えるということなので、その事自体は消費者にとってはいいことです。しかし、物価が下がる(あるいは、下がる見通しがある)と、企業は投資、生産を抑えようとします。すると、企業の収益(もしくは収益見通し)が下がるため、賃金が減り、採用が減り、結果的に、消費者の可処分所得が減ります。すると、消費が減ります。すると、企業はますます投資、生産を抑えようとします。このように、デフレは経済活動全体を縮小させてしまう、負の連鎖に陥る可能性があるため、悪いことと認識されています。
逆に適度なインフレは、物価が上昇し、企業の収益が上がり、その結果労働者の賃金が上昇し、その結果、消費者の可処分所得が増え、消費活動が活発になり、企業は投資や生産を拡大します。そのため、経済にとっては適度なインフレが最適であると認識されています。
日本は、今、デフレと言われていますが、実際には物価成長率はプラスマイナスゼロを境に、微増、微減をしている状況です。デフレスパイラルに陥るほどの、明らかに悪いデフレとまでは言えない状況だと思います。
アベノミクス、日銀は、これの原因を、市場に供給されるお金の量、マネタリーベースが不足しているからだという考えに基づいて、国債の大量買い入れをはじめとした歴史的な量的緩和を行い、マネタリーベースの量を急激に増やしました。その結果、金利がゼロ近くに抑えられ、企業が銀行からお金を借りやすくなり、その結果、企業の投資が増え、経済活動にプラスの波及をしていくことを期待したものです。
しかし、量的緩和を行う前から、金利はそもそも歴史的に見てかなり低く抑えられていました。また、銀行も貸し渋っていたという印象はありません。そもそも、企業の投資需要が無かったように感じられます。
量的緩和によりマネタリーベースを増やすこと自体の効果に疑問は残りますが、経済は「期待」がとても大事です。量的緩和の結果、経済活動がプラスに向かうことを「期待」して、株価は上昇しました。また、量的緩和による円安も輸出企業の収益を向上させ、これを後押ししました。
株価の上昇は株を持っている富裕層の資産を増加させます。すると、富裕層の消費が増えます。その結果、富裕層を対象としたサービス、商品を展開している企業の収益が増え、企業は投資や生産を増やします。その結果、従業員の賃金が上がったり、他の企業の仕事も増えたりという順番で経済が拡大していけば、デフレ脱却に繋がります。経済が拡大の流れに乗るまでには、それだけの時間とエネルギーが必要なのです。
アベノミクスは、株価が上昇し、富裕層の消費が増え、一部の企業収益が向上するまでは成功したと思います。しかし、現在の状況を見る限り、その後の経済拡大を続けていくだけのエネルギーは不足していたと思います。
経済は、「期待」が大切ですが、それを裏付ける「実態」も大切だと思います。日本経済の「実態」としては、人口減による、労働力不足、消費の減少という、明らかなマイナス要因が始まっています。これを解決するためには、いわゆる「構造改革」が必要です。アベノミクスでも三本の矢の三本目として構造改革を上げていましたが、この点に関しては、ほとんど何も成し遂げなかったように思われます。
「実態」が伴わないのに、量的緩和という財政政策の「期待」だけで、経済が回復するとは考えにくいです。たとえ、回復したとしても、それは長続きしません。本来であれば、量的緩和により時間稼ぎをしている間に、構造改革を行うべきでした。
安保法案の是非はともかくとして、国家の要は「経済」です。「経済」が弱ければ、安全保障にかけられる予算も減りますし、他国との経済的結びつきも弱まります。個人的には、安保法案の改正にあれだけ時間とエネルギーを使う前に、構造改革にもっと力を入れて欲しかったです。
構造改革の要は、「働き方の改革」、「新しい産業」、「時代にあった教育」だと思います。
働き方の改革は、単純に言ってしまうと、女性がもっと働ける社会になることです。そのためには、男性の働き方の改革も必要です。また、企業の解雇要件も緩和し、もっと労働力の流動性を高めるべきだと思います。ずっと同じ会社で、というのは、産業の衰勢が激しい今の時代には合わないと思います。適材適所という言葉にあるように、様々な企業、産業を経験して、最適な場所に落ち着くことが、生産性を高めることに繋がると思います。また、様々な企業での経験も、労働者の価値を高めます。
数年で辞めてもらっては、その人への投資費用が回収できず、困るという話をよく聞きます。しかし、そもそも新卒ならともかく、中途で投資効果が出ないのは、それはその企業の仕組みがダメなのだと思います。また、解雇要件の緩和は、何も短期転職を推奨するものではありません。企業としては、当然、長く働いてもらった方が投資効果がいいわけですし、労働者としても、できれば良い企業で長く働きたいと考えています。そうではなくて、その企業では活躍できない人が簡単に他の企業に移れるようにしたり、業界自体が傾いている企業からこれから伸びていく企業に簡単に人が移れるようにしたり、様々な企業を経験することで労働者としての価値を高められる人がその機会を得られるようにする、そのことによって、社会全体の労働による投資効果を高めるということが本来の目的です。
また、保育環境の整備などは、そのために当然必要となってくるものです。
メモ
金融政策の入門編として、金融政策そのものの仕組みや歴史的遷移、考え方、そして、近年の量的緩和について分かりやすくまとめられています。金融政策に興味のある方、最近の量的緩和って一体どういうこと?という方におすすめの本です。
こうした体制は、しばしば護送船団方式と呼ばれています。大小さまざまな船が一団となって、もっとも遅い船の歩調に合わせて進んでいくというイメージです。金融機関は、多少の不自由を我慢しさえすれば、破綻などを心配する必要はなく、ある程度の利益は保証されているということで、まずは安泰に日々を送ることができました。金利が政策的に低く抑えられていたために、企業の投資活動が刺激され、経済規模が急テンポで拡大する原動力となりました。1971年8月に、国際取引において米ドルの金交換を停止した、いわゆるニクソン・ショックまでのことです。高度経済成長期を通り過ぎた当時の日本の実力からするとかなり円安に設定されていたことになるのですが、そのために輸出産業は大いに潤い、経済が拡大する重要な要因の一つとなりました。(p.64)
高度成長期においては、金融の安定が重視されました。そのため、金融機関の競争よりも、破綻をさせず、安定した資金供給を行うことに重きが置かれていました。そういった金融の安定、十分な資金供給に加え、円安によるレバレッジが日本の経済成長を支えていました。
ところで、2010年10月からの包括的金融緩和措置では、通常のオペレーションとは別に一種の基金を設け(金融資産買入等基金)、長期国債を含む各種の金融資産を買い入れてきました。そして、基金が保有している長期国債は銀行券ルールの適用外とされました。基金の設立は、デフレ下で円相場が急伸するという特殊な状況に対応するための緊急措置的な色彩を帯びた政策であって、事態が正常に戻れば速やかに通常のルールに戻ることが当然という認識だったのです。ただ、いったん例外を作ると、それがきっかけになってズルズルとルールが崩れてしまうのではないかという反対意見はありました。この銀行券ルールは、黒田体制になってから一時停止されています。(p.123)
一つの例外は、他の例外を生み、やがてはルールそのものの形骸化に繋がるリスクをはらんでいます。
金融政策の分野では、インフレという将来のリスクを考えて厳しさに耐えることを求める金融引き締めよりも、さしあたっての安楽、すなわち金融緩和を求める声が大きくなるのは自然の勢いです。中央銀行の仕事は、パーティーが盛り上がろうとしているまさにそのときに、アルコールの入った器を下げてしまうことだとしばしば言われます、中央銀行が、政治勢力からの強い要請・圧力に屈して、その義務を果たさなかった場合にどのようなことが起こるか・・・。これまでの歴史は繰り返しそのことをわれわれに教えてくれています。コントロールの利かないインフレの発生、すなわち通貨価値の大幅下落です。第1章では、国家主権の一部である通貨発行権が、政府ではなく、そこから独立した中央銀行という組織に委ねられているのはなぜかという問いを発しましたが、その理由はここにあります。(p.157)
中央銀行の仕事は、経済が前向きなときに「嫌われ役」になることです。そして、経済が後ろ向きのときには「安心感と期待」を醸成することです。