松下幸之助(1894年~1989年)
パナソニック(旧松下電気)を一代で築き上げた経営者。
「経営の神様」と呼ばれ、一代で松下グループを築き上げた。家が貧しく、小学校を4年で中退し、9歳で丁稚奉公に出る。16歳で大阪電灯に入社、18歳で関西商工学校夜間部予科に入学した。
当時としては画期的な「電球ソケット」のアイディアを思いつき、自宅で製造販売をはじめる。当初の売上は芳しくなく、一緒に事業をはじめた友人2人は幸之助のもとを去った。
経営が軌道に乗り、1918年に松下電気器具製作所を創業。1935年には松下電器産業株式会社として法人化した。
戦後にはGHQにより制限会社に指定されるが、「松下は一代で築き上げたもので、買収などで大きくなった訳でもなく、財閥にも当らない」と主張し、また、内部留保を取り崩して雇用を維持したことに感謝した労働組合がGHQに嘆願したため、制限会社の指定を解除された。松下は1947年に社長に復帰した。
1955年には全国長者番付で1位になり、40年連続で全国100位以内に登場、全国1位も10回記録した。一生で約5,000億円の資産を築いたと推定されている。
享年94歳。
松下幸之助のエピソード、名言
あかん!きのう発売されてなんで今日わからんのや。商品についてまわれ。
販売店を訪ね、売る人の立場から意見を来てみるのが本当や。悠長に、一週間も市場の反応を待っていては商売にならん。
松下幸之助
前日に発売された新製品の評判について社の幹部に尋ねると、幹部は「一週間ほどしたら評判が分かるでしょう」と答えた。それを聞いた松下は「あかん!きのう発売されてなんで今日わからんのや。商品について回れ。」と幹部を叱責した。さらに「販売店を訪ね、売る人の立場から意見を来てみるのが本当や。悠長に、一週間も市場の反応を待っていては商売にならん。」と続けた。
失敗した所で止めるから失敗になる。成功するところまで続ければ成功になる。
松下幸之助
松下は、自分は失敗をしたことがないと断言している。その意図について、「意の如く、事が運ばないことを失敗というのなら、それは今までにずいぶんあった。しかし、私はいつも禍転じて福とするようにしているので、その意味では失敗をしたことはない」と述べている。